プロフェッショナルとは?

今日のテーマは「プロフェッショナルとは?」

 

プロとはなんのことなのか?

どういう心構えなのか?

いろんな角度からプロフェッショナルとは何かを見ていこうと思う。

 

プロフェッショナルは自分の成果に全責任を追える人説。

 

自分の成果とは何か?

①自分が求められている価値?

②求められてないが自分が生みたい価値?

 

プロは何かしら期待をされていて、その期待に答えることに全責任を追うことができる人?

求められてないが自分が生みたい価値を創造することはプロフェッショナルではないのか?

 

これからなんとなく見えてきたことは、プロフェッショナルは何かしら他者から期待されていて、それに対して答えることに全責任を追うことができる人になる。

 

例えば僕がこのブログを毎日書き続けるとして、その質に全責任を持っていたとしても、それはプロフェッショナルにならない。

なぜなら、このブログを期待している人がいないからだ。

もし、このブログを期待している人がいたら、その期待に答えることがプロフェッショナルとなる。

 

 では全責任を負うとは?

失敗しても自分の責任になること?

自分の責任とは?

自分が尻拭いすること?

自分がリスクを背負うこと?

一番のリスクってなんだろ?

死ぬこと?

辱めを受けること?

 

全責任とは?

人に責任を1mmたりともなすりつけないこと?

結果を全て受け入れること?

このらをまとめると、全責任を負うとは相手の期待に応えることができなかったことに対して、他者のせいにせず、その結果を受け入れて、それによって生じるリスクを受け入れる覚悟があること。になるのかな。

 

結果を出すために、貪欲に物事に打ち込むことが出来る人説

貪欲に物事に打ち込まないとプロじゃないの?

①貪欲に物事に打ち込んだけど成果が出ない人

②打ち込んでないけど成果を出し続ける人

これだと圧倒的に、後者のイメージ。

 

つまり、プロフェッショナルであることは過程は関係なく。

 

最終的に結果を残すことが出来る人になる。

 

じゃどんな手段を使っても結果を出せたらいいのか?

人を殺して、金を稼ぐのはプロ?

ちょっと違うイメージになる。

 

じゃプロの条件には、手段を選ぶことが重要になる。

 

つまり、手段を選んで最終的に結果を残す人になる。

 

手段を選ぶとはどういうことか?

自分の倫理に従うこと?

社会の倫理に従うこと?

いろんな手段がある中で、最良の方法を見つけること?

他人から期待された範囲内の手段を使うこと?

 

倫理っていうと話が大きくなるから、戻すと

自分のスタイルに従うこと?

自分のスタイルを崩してでも達成すること?

これでいうと、後者のイメージ。

自分のスタイルを捨ててでも結果を残す人。

本当に自分のスタイルを捨ててでも結果を残すことがいいのか?

 

自分のスタイルってなんだ?

信念?

こだわり?

思い?

軸?

 

スタイルを捨てでも結果を残すっていうのもまた一つのスタイルな気がする。

 

結局スタイルは関係ないのか?

でもなんでもいいから結果を残したらいいというわけでもない。

 

まとめると、自分の信念にしたがって、決められた制約条件の中で、最良の手段を選び結果を残す人。

 

なんとなく見えてきた

 

最後は、「期待値に応えるのはちょっとでも応えたらいいのか?」という問い。

 

結論、はいだと思うんだけど、ちょっと応えることをゴールにしている人はプロではない印象。

 

つまり、今出来る価値を最大まで高めて、相手の期待に応えることが重要。

 

まとめると

 

決められた制約条件の中で、手段を選び最大の価値を生む人。

他人の期待に応えることに全責任を負う覚悟がある人。

 

なんとなく、プロフェッショナルの真意に近づいた気がする。

 

自分のビジョンを実現する覚悟

今日はチームの人に自分のビジョンについて語った。

話していて思うのは、言うのは簡単と言うこと。

やっぱりそれを実現することが重要だと思う。

 

まだここでは言わないが、僕には明確なやりたいことがあって、それを実現するために今がある。

でもそれってロードマップを引いた時にはまだ直接的には全然進んでいない。

まだ自分の実力を貯める時期だと言い聞かしているが、結局それは逃げているだけなんじゃないかと思うことがある、

 

実現することをどこまで真剣に向き合ってるんだろう。

ただ、カッコつけて言っているだけなんじゃないか?

今の環境から逃げるためにそれっぽいことを言ってるだけなんじゃないか?

痛みを伴ってもそれを実現する覚悟はあるの?

 

これらの問いに対して即答できない時がある。

怠惰からなのか、現状に満足してしまった時なのか。

でも自分が生きてきたことを実証するためには、実現しないと意味がない。

 

だから必ずそれは実現させる。

暗示の意味も込めてもう一度書く。

僕はそれを実現させる。

 

根を張り地下から芽を出すまでに何人が諦め、芽が出て花を咲かすまでに何人が諦めるのか。

 

花が咲くまでは何も成し遂げたことにはならない。

そのためには想像できないような意志の力が必要なんだ。

 

ネガティブな要素として考えられるのは①馬鹿にされる②資金が尽きる

 

この②つくらいなのかな?

 

そう考えるとほとんどネガティブなことってないんだ。

 

花を咲かすために1歩でもいいから近づけるようにしよう。

 

そしてかならず最後にはみんなが驚くような花を咲かせるんだ。

 

 

 

 

本日の反省:施策を打つための意識項目

指摘されたこと。

 

目的は何?

・これは数値で表せるようなものではないといけない。

どの数値を上げるの?

・目標数値を明確にしておく。

・そのためには今の数値を把握しておく。

それは何が課題なの?

・数字から導き出される課題を考察する

対象者は?

・それぞれ誰に対してやろうとしているのかを明確にしないといけない。

・その対象者の規模がわかるようにしないといけない。

リリースの時間は?

・何日ではなく何時何分まで明確に

施策後にその数値結果を見て、なぜ変わったのか踏まえて何をするのかを明確にする。

PDCAを回せるように

・自動で数値を取れる状態にしておく。

 

 

次からはこれをチェックリストにして意識して施策を練っていこう。

台風理論。人はなからず影響し合う

いろんな人との付き合い方があるけど、どんな付き合い方をしても僕らはお互い影響し合うと思う。

同じ回転の台風同士がぶつかり合うと、さらにその回転の威力が増すように、いい影響を与えてくれる。

逆に、別の回転の台風同士がぶつかると、威力は削がれてしまう。

でも強い逆のエネルギーがぶつかると、爆発するようになにか新しいものが生まれるかもしれない。

なにか人にいい影響を与えられるようなそんな人になりたい。

分度器理論。生きてく中の小さなズレが大きなズレに。

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小学生の時に分度器を使って角度を測ったことがみんなあると思う。

 

1度ってホント些細なズレなんだよ。それこそ誰も気づかないようなズレ。

でも底辺が長くなるに連れて、その開きは大きくなる。

 

僕達も同じで、今は目に見えないようなほんの些細なズレでも時間が立つにつれて大きなズレになってくるんだと思う。

 

 

いい方向にズレると、それが後々の自分にとって大きな成長になるから。

 

 

だから、ちょっとしたことでも、一つ一つを大切に、自分らしく生きたい。

 

 

【映画の感想】『何者』を見て

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ずっと気にってた『何者』をやっと見ることができた。

 

そんなこんなで、今回は何者について自分なりにまとめようと思うのです。

 

まずは基礎情報。

何者は朝井リョウが原作の映画。
朝井さんといえば『桐島部活やめるってよ』で有名な小説家。原作は読んでないんだけど、、、印象は人の建前をそのまま見逃さずに、キャッチして剥がしてリリースするのが得意な人。会ってないから推測だけど、、、

 

そんなエコな人が今回テーマに選んだのは就職活動とSNS

 

特に僕と同じ世代の人が経験してるであろう就活withSNSを通じて、人のアイデンティティとはなんなのか?つまり俺って何者なのか?って言う部分をキャッチ&リリースした作品になってる。

 

そして、監督さんは僕はほとんど知らい。どうやら舞台もやってる人みたいなんだけど、その人の舞台も見たことはない。てかそもそも舞台みたことない。いつか見て見たい。

 

そんな彼らが作り上げた作品が『何者』になるわけです。

見た感想だけど、「あー、それわかるわぁ(笑)」「うわぁー、そこまでかぁ(笑)」って思わず言っちゃうくらい痛々しい内容だった。

そして、これも桐島部活やめるってよ』と同じように、自分が見てきた世界によって全然見る視点が変わるような内容。
要は友達同士の議論がまた楽しみになるような内容。まだ見てない人はぜったい見た方が良いと思う。

 

今回3つのポイントに分けて自分の所感を書こうと思う。

 

そのまえに、前提だけど僕は就活してない。面接もなく今の会社に入った。そして、SNSもあまりやらない。特にツイッターはやってない。そんな視点から感想を書くからもしかしたら、かなりずれてるかもしれない。

 

ポイント①就活することについて

就活ってほんと恐ろしいイベントだと思う。なぜなら、今まで大学時代に培ってきたものを捨てて、新しい社会という扉を開く瞬間になるから。

例えば大学時代に音楽や演劇のようなサークルや部活動にエネルギーを注いでいた人が、そこで得たスキルを武器に就活することは到底難しい。

そして一般的に面接に必要とされるスキルを急ピッチで身につけて、なんとか自分をよく見せる方法を模索する。
映画では一分間で自分の良さを相手に伝えないといけない「一分間スピーチ」が説明されてたけど、まさにそれ。面接に合格したくて、自分をよりよく見せていく作業。そこで、結局俺は何をやってきて何をしたくて、こんな自分って正解なの?という不安になってしまうんだと思う。

 

ここでのポイントは2つ

1つは、大学時代の活動が将来を見据えて行ったものである可能性が低いこと。(これは自業自得だと思ったりもする)

2つは、就活というイベントになぜか特殊な優劣や勝ち負けのイメージがあること。

1つめに関しては、将来を見据えて活動し、その経験を直接的に将来に繋げることだけが正解だとは思わないけど、ある程度の軸は揃えて置いた方がいいと思う。これに関してはこの記事でなんとなく書いた。

syaca.hatenablog.com


あと何より、内定がゴールじゃないからと言ってあげたい。

2つめに関しては特に僕が疑問と、むしろ怒りに近い感情を抱いてる部分で、まず全く意味がわからないのは会社を選ぶ軸に、福利厚生とか、保険?とか年収とかを置いている点。
あと、大企業入ってたら勝ち組と思っている考え。からの、「私なんて大企業は採用してくれないから」という意味がわからない発言。

もぉ、大企業が安泰なんて誰も思ってないくせに、まだ名前に安心したいというなかば、願いのように大企業に頼ろうとする考え。というかこの系統の批判すらもはや聞き飽きたくらいなのに、まだその風潮が残ってるのが疑問。

確かに、やりたいことが出来るのがたまたま大企業であったり、ビジョンや先輩に共感出来たのがたまたま大企業だったりするのは全然応援したいけど、とりあえず大企業!っていう考えは少し盲目的だと思う。

あと人を社名とか年収で卑下するのはやめたい。
その人に明確な目的やビジョンがあっての選択ならそれを応援してあげるべきだと思う。

 

ポイント②このテーマの儚さ

何より僕が凄いなと思ったのは、このテーマを作品にしようと思いたったこと。
就活を通しての葛藤は今を真剣に生きてるからこそ生じるイベントで、みんなが一度は通るし、疑問に思いながらも進むしかない道。

なんだけど、実は入社した後の方がもっと辛いし、重要なことがあるため、忘れがちになるテーマだと思う。

だから、このテーマ見たとき、「あ!そーだ!あれだけ就活に対して疑問を抱いてたのに忘れてた」ってなった。

あの時、絶対的審査員に見えた人だって、会社に入ってみれば同僚で、なんなら自分より仕事が出来ない可能性もあるし、自分みたいなやつが数年後面接官やってるかもしれないという視点。

また、面接官も実は必死で、間違って会社の文化に合わない人を採用すると上司に怒られるし、会社にもその人にも損失を与えるという責任のもと面接をしているという視点。

当時はこのことに気づかずに、後々気づくんだけど、「もぅ関係ないや」と忘れ去られがちという普遍性と儚さを持ったテーマだと思う。

ポイント③違和感

もっと好きなことをやっていけばいいのに。
他人の批判なんて気にせず、情熱注げることにエネルギー注いだらいいのに。
生活する方法はいくらでもあると思う。

俺って何者なんだ?っていう疑問は誰しも抱くことで、その潜りの時期を超えてやっと人に価値を提供できる人になれると思う。

だから就活がうまく行かなくたって、そんなに心配することないよ。

人が決めた流れに乗るのだけが生き方じゃないから。

逆に大学1年生から就活してもいいと思う。というか優秀な学生はすでにインターンとかで働いてたりするしね。

 

最後に

 

映画の構成や演出の妙より、このテーマについて深く考えたくなるというのがこの映画の魅力だと思う。とてもいい映画だと思うので、まだみてない人はぜひDVDでみてほしい。そして感想をぜひ教えて欲しい。

友達の定義ってなんだろう

どこまでが知り合いで、どこからが友達なんだろう?

同じ時間を共有した長さなのか?

でも短い時間でも濃い時間過ごすと友達だし。

気が合うと友達なのか?

気があうかどうかは重要な要素だと思うけど、気が合うかどうかってどうやってわかるんだ?

色々考えていて、一番しっくりくる定義が見つかった。

友達とは、もしその人が入院した場合お見舞いに行きたいと思う人のことである。

逆に言うととてもドライな言い方だけど、入院してもお見舞いに行きたくない奴は友達ではない。

あと、グループの場合は一人ではお見舞いに行かないけどグループだったらお見舞いに行くって言う関係もあると思う。それはグループでの友達。グループでは仲良いけど、急に2人だけになったら気まずくなる例のやつ。

この定義が一番しっくりくる。

だから、もし自分が入院した時は誰か来てくれるかな?

誰も来なかったら辛いな...

これが僕が考える友達の定義。